社長インタビュー

社長インタビュー
代表取締役 後藤 順二

どん底まで落ちたら、
もう何も失うものは無い
逆に上がっていくだけ

世の中に多くの仕事がある中で、今の仕事にたどり着いた経緯や理由などを教えてください。

結論から言うと家業を継いだんです。でも本当はラーメン屋をやりたかった。伯父が「ラーメンショップ」というラーメン店を経営していて、中学の時から皿洗いとかネギ切りとかを手伝っていたんです。その頃から「俺も将来こういうのやってみたいな」って…。大人になって父の会社で働くようになってからも、その夢は持ち続けていて、会社を継ぐであろう兄もいましたし、そのうち僕と嫁の二人でラーメン屋をやろうと思っていたわけです。二人とも客商売向いているんじゃないかなっていうのもありまして…。ところがある時期から、家業が傾き、何億もの負債を抱えてしまいどん底まで落ち、社員もいなくなり、そうこうしていたら身体の弱い兄も辞め、そうなるとおのずと二男の僕が会社を継がないといけませんよね、せっかく父親が起こした会社をここでやめるわけにいかない、ということで今に至ります。

なるほど。夢をあきらめて、よく決心されましたね。ラーメン屋さん以外にも昔色々なお仕事を経験されたんですか?

仕事はいろいろやりました。工事現場とかタイヤ屋さんとか、ホステスさんの運転手とか…。でもやっぱり最後は親を助けるっていうか、受け止めるしかないですよね。田舎なので母も「誰も跡取りがいないと困る困る」って言ってましたし。あと奥さんも「できるとこまでやってみたら?どん底まで落ちたからもう何も失うもの無いし、逆に上がっていくだけだから」って言ってくれまして。従業員の中にも「なんとかやりましょう!やってみて駄目だったらそこで解散しましょう」って言ってくれる人もいたんです。

素敵な奥様とスタッフさんたちですね。どうやってどん底から這い上がったのですか?

お付き合いのある銀行があれやこれやと手を尽くしてくれまして…。仕事はあるけど人手不足なところが結構あるので、当時色々紹介してくれました。でも、やっぱり慣れない仕事は難しいですね。単価も低過ぎて、やればやるほど赤字で、銀行に返済も出来ないっていう…。これではダメだ、どうしようって暗中模索していた時に、運良く御縁をいただき、ちゃんと利益が出せる仕事に出会えたんです。誰もが知っている鉄道会社の夜間工事の仕事です。

鉄道の仕事?!しかも大手の。急に出来るものなんですか?技術的に。

そんな分野やったこと無かったんですが背に腹は代えられません。作業の内容自体は今やっている事の応用だったので、「やってやれなくはないな」、ということで思い切って始めたんですよね。今ではその仕事に携わって6年目。ようやく少し認められるようになって、実は先日その功績が認められて表彰されたんです。頑張って良かったなって思いました。本当に嬉しかったです。振り返れば仕事が合わず辞めていった人もいましたが、一方で「日中好きなことできるし、夜間でもいいですよ」とか、「親を病院に連れて行けるからいいですよ」って言ってくれる従業員が揃っていた、ということも幸運でした。

持ってますね、後藤さん。すごいです。

本当にラッキーだったと思います。ありがたいことです。

自分なりにバラエティに富んだ
楽しい会社人生を全うしたい

仕事のやりがいはどんなことですか?初期の頃から振り返ってお話しください。

20年前、まだ沿岸部や山間部はインターネットが普及しておらず、テレビがメインの娯楽で、衛星放送が出始めの時期に「共同アンテナ受信システム」の仕事をやっていたんですが、集落に行って切れた線や壊れた機械を修理してあげると、田舎のじいちゃん、ばあちゃんが「いやよかった~。水戸黄門見れる~。」なんて言ってすごく喜んでくれたんですよね。そういう人がいるとやっぱり「やって良かったな」って思いますよね。誰でもできる仕事じゃないですし、自分の中ではそれがやりがいであり、喜びでした。

確かにとても専門的なお仕事ですね。

はい。当時宮城県に2社しかなかったんです。そういうことも魅力でしたね。

いろんな大変なことがあっても、これまで頑張って続けてこれた理由は何でしょうか。

頑張るも何も、僕らは仕事を選べない、やるしかないと思っていたので。それに一度木っ端微塵になるような経験をすると、多少のことは何とも思わないです。逆に人と同じことをやってたんじゃ駄目だと思っていましたしね。危険な仕事も、汚れ仕事も、誰かが必ずやるしかない

どん底の立場で、好き嫌い言ってられません、ということでしょうか。

そういうこと。でも、どん底なのであとは上がるだけ。もっと良くなるために一緒に高みを目指しましょうって。今まさにそれをやっている最中なんですよ。今の仕事に特化しつつ、その上でやりたいことも目指す。「ラーメン屋」とか。あ、因みに夢はあきらめていません。(笑)

大変だけど前向きに「夢」を持って、頑張っているところなんですね。夢があるから頑張れる。

うちの社員はみんな「今に見てろよっ」ていうやつらばかりなんです。20人ぐらいの零細企業ですけど、やり方一つで変わることができる…。株なんかで1人で何十億も稼ぐ人もいるじゃないすか?そういうのには敵わないかもしれないけど、自分らは自分らで、バラエティに富んだ楽しい会社人生を全うしたいなって思っています。理想ですけど。

理想は大事です。零細企業とはいえ、テレビのアンテナも、鉄道の仕事も多くの人の役に立って価値を与えていますよね。誰でもできる仕事じゃないです。地震で新幹線が止まってしまった時も、夜な夜な働いて復旧させたんですよね?

はい。皆さんのお役に立てたのであれば、光栄です。後方支援ですけどね。

「自分が思っているより、自分ってできるんだぞ」
っていうことを親父に教わった

さて、後藤さんが心に刻んでいる大切な言葉はありますか?

いくつかあります。これは、創業者の父が言っていたんですが、「目は臆病、手は鬼」という言葉。目で見ると圧倒されて臆するような仕事でも、とりあえず手を動かしてやっていたら、いつのまにか出来ていて、ものすごい働きをしている…、簡単に言うと「自分が思っているよりも、自分ってできるんだぞ」っていうことを教わったんですよね。当時「何言ってんだこの人」って思ったけど。「やってみなきゃわかんねぇんだ、やってみろ!」っていうのが親父の口癖でしたね。

鉄道の仕事もやったことのない分野だったのに、踏み出せたのはその言葉があったからですね。

そうです。ある意味挑戦でした。あとは「庇(ひさし)を貸して母屋を取られる」。これも父親からきいた言葉で、下請の業者さんにお客さんを取られることが何度かありました(笑)

「恩を仇で返された」というかんじでしょうか。日本は資本主義社会ですから、どんな会社も多少は経験することかもしれません。後藤さん親子は人がいいんでしょうね。

当たり前ですが自分は絶対にしませんけどね。あとはこれが最後なんですけど、小さい頃から祖母に言われていて頭の中に残っている言葉で、「一歩外へ出たら他人のことを豚だと思え」(笑)。要は、相手がどんなに偉い人だろうが、何十億稼ぐ人だろうが、豚だと思えば対等に話せるからと。言い方が悪いですけど、婆様の教えです。

次の質問です。後藤さんが仲間との間で大事にしていることは何ですか?

「無理に約束しないこと」。例えば女性って急に今日飲みに行くぞとか、出かけるよって言われても困るし、基本無理じゃないですか。お化粧する時間もある。体調もある。大抵3、4日前に約束した方がいいですよね。男も同じ。無理な約束事をしない。無理に関係を築かない

程よい距離感ということでしょうか。プレッシャーかけないっていうか。期待し過ぎないというか。

どんな方でも間合いの取り方は注意するようにしています。じゃないとお互いに疲れますからね。

天変地異が起きても、絶対に変えたくないポリシーはありますか?

娘だけはどんなことしても守る。息子もいるけど、男の子はほっといても大丈夫でしょ。だから娘だけは死守。まあ、それはジョークとして…

ジョークだったんですか。本心だと思いました。

M&Aを全部反対しているわけではないんですが、企業買収に関して、例えば「跡取りがいないから、会社買って」という場合はいいとして、大手がただ会社を大きくしたい、という理由でうちみたいな零細企業を買収していくパターン。そういうところには絶対会社を売りたくないですね。僕は2代目として、後世に伝える義務があるから。例えば僕の弟や息子に継承していきたい。それだけは守りたいですね。

「経験」=「知恵」=「財産」
どんな仕事でも軽んずることなく真摯に臨んでほしい

今、「継承していきたい」、という言葉が出ましたが、この仕事をどのように次の世代に伝えていきたいですか?

どんな仕事でも軽んずることなく真摯に臨んでほしい、ということです。「今スタッフがいるからこの仕事はAくんとBくん行ってくれ」、とかじゃなくて、まず自分がやってそれを部下たちに伝える。やってみて分かることが沢山あるので、その「気付き」を教えることをやってほしい。「経験」=「知恵」=「財産」です。知識だけでは足りない。それに、経営者は必ず人から見られているので。それだけは覚えておいてほしい。

因みに後藤さんは子供ころ、どんな子供でしたか?

いつも兄と比べられていましたね。兄は勉強ができる。僕はできない。兄は賢いから怒られないですよね。僕はしくじってばかりで怒られていました。逃げても捕まる。ガキ大将だったんですよね。田舎ならではの。幼い頃から問題ばかり起こして親と一緒に謝りに行ってばかりでした。

エネルギーに満ち溢れていたんですね。

変な反骨心というか、反抗心というか…。「あんな決まり切った大人になりたくねぇ」って。悪戯の度が過ぎて、トラウマになるような罰を受けたこともあります。小学校2年生の時によっぽど悪いことをしたんでしょうね、一晩中逃げていたんですが、とうとう親父に捕まってコテンパンにやられて、それでも暴れるので、吊りトラックに一晩中ロープで吊られました。当時爺様がかわいそうに思って朝方下ろしてくれましたけどね。泣きながら気絶していたらしくて…。それが今でもトラウマで、仕事上、今も吊りトラックを使うのでそれを触る度に思い出すんです(苦笑)。

お母さんはどんな人でしたか?

母はとてもいい人でおせっかい焼き。周囲のみんなに対して。俺に対してもストーカー並みのおせっかい。可愛がりすぎ。僕だけでなく兄弟みんなに。よくぞあの親父にあのお袋がついてくれたと感心します。にぎやかな家族でしたね。

人として許せない言動や、嫌いなタイプはありますか?

人を蹴落としてまで自分が優位に立つとか、仕事をもらう人は許せないです。そんな人誰でも嫌だと思うんですけど。あとは、実力以上に自分を誇示する人も苦手。

少しアナログなほうが「生身の人間」に合っていると思う

後藤さんにとっての理想の未来を教えてください。

僕も、みんなと同じで世の中全体が良くなってほしいと思っています。それこそ昭和初期、戦前の日本みたいな。悪いことすると近所のおじさんがゲンコツするような人情味溢れる時代に戻ってほしい。人間関係がギスギスしていなくて、温かくて心が豊かな時代。今の世の中便利になり過ぎて効率ばかりを求めて、結果、みんな心にゆとりがなくなっている気がするんですよね。多少はいい意味でのムダというか、少しアナログなほうが「生身の人間」に合っていると思うんです。

私もそう思います。「スマホ脳」というベストセラーの本にもそのようなことが書いてありました。さて、後藤さんの近い将来の具体的な計画があれば教えてください。

そうですね、みんなが集まれるような場所、ちょっとおしゃれなトレーラーハウスだったり、ログハウスだったり、山小屋を建ててイベントを開いたり、犬も連れてこられて、色々遊びながら学べるような、そういう場所を作れたらいいなって思っています。ほぼ趣味で、ちょっとだけ商売…。

みんなが集まれる場所、いいですね。

皆さんのおかげで、あと2年ぐらいで借金の返済が終わるので、まずはそれからですが。

すごいです!あと2年!頑張りましたね!奥様にもやりたいこと聞いてみたらいいんじゃないですか?

そうですね。お花が好きだからバラ園とか、そういうのいいかもしれないですね。あと僕は犬が大好きなので、怪我したワンちゃんの保養施設みたいなのもいいいかなぁって思っていて…。
人生短いので、今のうちに頑張って豊かな老後にしたいですね。

素敵な計画です。今日は素敵なお話ありがとうございました。

(取材日:2022年4月25日)

後藤順二プロフィール

  • 昭和50年4月22日生まれ
  • 宮城県登米郡南方町出身
  • 宮城県鶯沢工業高等学校電気課中退、
    宮城県佐沼高等学校卒業
  • 家族構成:妻、娘、息子、犬、めだか5匹
  • 職歴:タイヤ屋、鉄骨削り屋、ラーメンショップ
  • 趣味:酒と団欒、映画鑑賞、船釣り、バイク、犬の散歩、アメカジ
  • 将来の夢:栗原市高清水町で小さな森を所有しているので自分で開拓し、ドックラン施設と、トレーラーハウスを置いてカフェとバラ園をやりたいと思っています。

<加盟団体>

  • 日本電設工業株式会社 協力会
  • (一社)あさひな倫理法人会
  • 登米みなみ商工会